「energy flow」のヒット
疲労で顔を曇らせたサラリーマンが、せわしなく行き交うスクランブル交差点。その中央でピアノを弾く坂本龍一。そして、その音色に足を止めるサラリーマンたち。
「この曲を、すべての疲れている人へ」というメッセージと共に始まるリゲインEB錠(第一三共ヘルスケア)のCMは、バブルが崩壊し、失われた二十年の真っ只中を突き進む、先行き不安な日本人の心情を反映していた。
そんなCMで使用された坂本のピアノ曲「energy flow」はインストゥルメンタル・シングル(『ウラ BTTB』)初のオリコン一位を獲得し、累計売上155万枚ものヒットを記録。メディアでは、ソニーの犬型ロボットAIBOと並び、「癒し」ブームの象徴として話題となった。
ところが、当の坂本は「さらさらっと5分ぐらいで作った」「ポップがどうとかいうことは何も考えず、ただ書いた」と告白しており、売れた理由についても、よく分からないと困惑していた。
作曲した本人でさえ理解できないヒットの要因。しかし、90年代末の坂本の周辺を精査してみると、その背景にある超能力の存在が浮かび上がってきた。
山岸隆とTDE
その超能力というのが、TDE である。TDEとは、Transcen-dental Energy の略で、和訳すれば、「超自然的な能力」になる。この超能力は、1985年3月29日、山岸隆という当時35歳の男性に発現したもので、朝目が覚めると、チアノーゼのように手のひらが紫に変色し、両手を近づけると指先がビリビリとしたのが始まりだそう。
父親が薬剤師、祖父がアメリカの大学を二つ出た工業系の修士という理系家庭出身の山岸は、東京薬科大学薬学科を卒業し、製薬会社で医薬品や合成ギプスの開発に携わった薬学畑の人間である。自身も認めるように、超能力などといった非科学的なものは全く信じない質であった。
しかし、そんな彼も超能力を発現してからは、否定できない物理現象の一つとして捉え、体験を重ねながらTDEの研究に励むようになる。そして、1986年には、株式会社TDI(Transcen-dental Institute:和訳すると超能力協会)を設立し、同社の会長として活動していく。
では、そうした活動の中で育まれたTDEとは、一体どういうものなのか。山岸曰く、彼の能力は、タバコをスカスカにしたり、コーヒーの味を紅茶に変えたりといった些細なところから始まるのだが、それがやがて肩こりや頭痛といった簡単な病気を浄化できるようになり、ついには癌まで治療できるようになったという。
これが心霊治療や手かざし療法であれば、人々に治療を施して終わりだが、製薬会社の技術屋だった山岸は、この能力を誰でも簡単に扱えるものにしたいと考え、CDを媒介としたエネルギーの伝授を始めるようになる。
その方法はいたって簡単。山岸の超能力エネルギーを封入した CDをイヤホンやヘッドホンで二十分ほど聞き流すだけ。スピードラーニングと同じ要領だ。そうすれば、大脳の超能力をつかさどる回路が開いて頭の回転が速くなったり(クロック)、筋肉の緊張をほぐして疲れをやわらげたり(パパベル)といった効果が現れる。地道な修行を要する従来の超能力観とはかけ離れた、ソフトをダウンロードするかのような手軽さがTDE最大の特徴であった。
「EV.cafe2」幻の鼎談
以上が山岸とTDEの概説だが、それと坂本龍一がどう関係するのか。その答えは、1998年から2001年にかけて、『Esquire(エスクァイア)日本版』で不定期連載された、村上龍と坂本龍一がホストを務める鼎談「EV.cafe2」にある。
ニューアカデミズム全盛の1980年代、当時のスター思想家たちと語り合った「EV.cafe」の十年越しの続編であるこの連載は、3.11以後の新たな対談と共に2013年に『21世紀のEV.cafe』として刊行されている。もちろん全ての連載が収録されているかと思われたが、一つ未収録の回があった。それこそが、坂本が TDEを知ることになる1988年5月号の山岸隆ゲスト回である。
1995年に出版された、村上龍と山岸隆の共著『「超能力」から「能力」へ』の中で、「確実な効果があると判断し、今回こうやって本にまとめ、紹介することにした」と述べている通り、当時の村上はTDEの効果を信じ、世の中に発信すべきと考える立場であった。当然「EV.cafe2」でも、 山岸と共にTDEの解説と布教に臨むのだが、坂本の方はといえば、信じるとも信じないともしない、のらりくらりとした態度で、少し舐めた返しをしていく。
例えば、山岸がCDにエネルギーを移すと言えば、着ているものにも移っちゃいませんか?と子供じみた質問を投げかけたり、ヨーロッパで講義をして理解されなかった話を長々としていると、途中で話を遮って、早くエネルギーをかけるよう催促したりと、真面目に話を聞くフリをしながらも、どこか投げやり気味にからかっているような印象を受ける。
そうしたやり取りを繰り返す中で、話は次第に坂本の次のレコーディングの際に、山岸がエネルギーを入れるという展開になる。ピアノの録音にお願いしますといった坂本の発言や雑誌の刊行年から推測するに、山岸がエネルギーを送ったこの曲こそが「energy flow」ではないだろうか。和訳すると「エネルギーの流れ」になる辺りも、いかにもそれっぽい。
とはいえ、TDEが「energy flow」に影響を与えたのではないか?という憶測を立てられるのは、この曲がヒットしたからという結果論に過ぎない。元々はCM用で、CDへの収録予定などなかった曲である。坂本自身、売れるなんて露にも思っていなかった。
また、坂本は音楽制作の最終段階で「気」をこめると出来が違うとも話していたが、その理屈で言えば、「energy flow」には「気」がこもっていない。そんな曲にエネルギー注入を頼み、あえて匂わせるようなタイトルをつけたのは、鼎談時の態度から察するに、山岸をからかうつもりだったのだろう。それが予想外に売れてしまい、「癒し」ブームのアイコンにまでされてしまったのは皮肉なことだが。
参考文献
- 山岸隆(1987)『超能力回路を開く』(ハート出版)
- 村上龍・山岸隆(1997)『「超能力」から「能力」へ』(講談社)
- 山岸隆・矢追純一(2000)『超能力!?いえ能力です』(文芸社)
- 坂本龍一(2009)『音楽は自由にする』(新潮社)
- 坂本龍一・村上龍・山岸隆「第3回 EV.cafe2 「超能力」はとても自然なことなんだ」『Esquire(エスクァイア)日本版』1998年5月号、株式会社エスクァイア マガジン ジャパン、158~163頁