「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!!」はどのように誕生したか

裏番組『天と地と』

裏番組という言葉がある。今では誰もが当たり前のように使っているが、元々は業界用語で、同じ時間帯に放送されている他局の番組をこう呼んでいた。裏番組というのは、いわば裏の言葉であったわけだ。それが表に広まったのは、ある番組が高視聴率を叩き出してからだろう。

その番組というのが『コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!!』だ。低俗番組の烙印を押され、全国のPTAや各新聞から猛バッシングを浴びながらも、驚異の高視聴率を叩き出し、タイトル通りに裏番組をぶっ飛ばしてしまったこの番組はどのようにして誕生したのか。

1969年1月5日、日曜日の夜8時から9時の時間帯に、NHKが大河ドラマ『天と地と』の放送を開始。公共放送の資金力が投入された大型テレビドラマに、民法各局は視聴率をごっそりとさらわれることになった。

常時30%の視聴率を上げる『天と地と』にどんな番組をぶつけたところで、取れるのはせいぜい7~8%程度。そんな苦境の中、テコ入れを任されたのが、当時の日本テレビのプロデューサー細野邦彦だった。

野球拳の誕生

司会については、上層部からの提案でコント55号に決まった。しかし、当時すでに『コント55号の世界は笑う』が人気を博していたため、フジテレビと同じようにコントを寄せ集めても視聴者は着いてこない。そう考えた細野は、これまでのヒットの経験に基づき、視聴者参加型の番組を作ることにした。

とはいえ、当時のコント55号はタレントとしてはピークの位置にいる。容易なことでは言うことを聞くはずがない。そこで細野は、55号をこちらのペースにはめるべく、視聴者を小道具として上手く使ってやろうと考えた。そして、ひな壇を作り、400人の客を乗せることにしたのだが、いくら公開放送といえど、何かしらの得がないとなれば、客はなかなか集まらない。

そこで細野は客に得をさせるため、タレントの着ている衣服や持ち物をオークション形式で売ろうと考えた。オークションなら、人間の欲と掛け引きの面白さが露骨に出て、たくさんの人を引きつけられるし、臨場感も満点だと踏んでのことだ。

だが問題はどうやってその空気に持っていくかだ。ただ単にオークションをやってもつまらない。静と動のリズムがあって、最後に上手くオチへと持っていく方法はなんだろうか。

そう考えているうちに生まれたアイディアこそが「野球拳」だった。

細野曰く、芸能界には「どんな名優も子供には勝てない。その子供も動物には勝てない。そして動物も裸には勝てない」というジンクスがある。野球拳の副産物として存在する「裸」はまさにオチに最適。最後の決め手となった。

細野邦彦の発想とその後の日本テレビ

芸者の三味線ではなく、強烈なリズムを刻むバンドの演奏をバックに、女性タレントと二郎さんがジャンケンをして、負けた方が身につけているものを一枚ずつ脱いでいく。観客にも手拍子や掛け声を出して貰って、会場が一体となって盛り上がる。

観客もタレントも道具として最大限活用し、音楽・構成のリズムを駆使して、視聴者の欲望を掻き立てる。最後には裸があるかもしれないというゴールを用意し、予定調和に陥らない偶然性のワクワクまで仕掛けるこの番組には、今から振り返れば、同局で土屋敏男が手がけたドキュメントバラエティ『進め!電波少年』の予定不調和や、ライバルのフジテレビを分析し、理論的に勝てる編成を考えた1秒戦略に繋がる発想があった。

しかし、近年の日本テレビのバラエティ番組は、『今夜くらべてみました』『行列のできる相談所』『人生が変わる1分間の深イイ話』『おかえりこっち側の集い』など、ほとんどの番組で同一のフォーマットを使い回している。はっきり言って、構成があまりに工業化されて、マンネリ化してきているのだ。好意的に見れば、それは1秒戦略の継承と発展を成功させているとも言い換えられるが、視聴者も流石に飽きてきていると思うし、このままではかつてのフジテレビのように凋落することも考えられる。そのことに当の日本テレビも気づき始めたのか、ここ数年は番組の新陳代謝が激しいように思うが(2024年4月現在、上記で挙げた番組も行列以外放送終了している)、長年にわたって培われてきた予定調和の打破はなかなか難しそうだ。

参考文献

  • 本誌編集部,藤原勊,平井賢,細野邦彦「噂のハプニング・ショー」『週刊明星』1969年11月30日号、集英社、61頁
  • 細野邦彦「低俗番組でなぜ悪い?」『文芸春秋』1969年12月号、文芸春秋、336~340頁
  • 細野邦彦『バカウケ虎の巻 ウィークエンダー大ヒット商法』(1976)、勁文社、35~40頁

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